TRONプロジェクト30年の歩み

TRONプロジェクトの30

思わぬ結末

USTRを利用したいわば風評被害によりBTRONという独自技術を潰したのは、実は米国の企業ではなく日本人だったということは後年わかったことだ。詳しく記述してある1冊の本が出たからだ。ルポ作家・大下英治著の『孫正義 起業の若き獅子』。簡単に言うと、当時孫氏はパソコン用ソフトを米国から輸入して商売をしていた。日本で独自技術のパソコンが普及したら商売にならない――ということからTRON潰しに動いたらしい。この本で書かれている通産省の高官、政治家、財界など孫氏が持てるあらゆるツテを動員しTRON潰しをやっていく様は、私も感心してしまうぐらいだ。

その後の顛末としては、米国政府から食事しながらお話ししたいというお誘いがあった。出向くと「調査の結果、TRONはまったく問題ないということがわかったが、先生に迷惑がかかったなら遺憾だ」とのこと。アメリカの大学の先生も一緒にいて、技術論で盛り上がった。

それでも、この事件が与えた影響は大きく、BTRONプロジェクトからどんどん日本の企業は抜けていき、教育用標準パソコンの話もなくなった。しかしTRONプロジェクトの本筋であるリアルタイム組込みシステムの方は、その間も静かに着実に世界に広がっていった。デジカメの普及のきっかけとなる画期的製品・カシオのQV-10とか、そろそろ立ち上がってきた携帯電話とか、トヨタの車のエンジン制御などに採用され、TRON復権を言ってくださる方々も増えてきた。

それを実際の活動につなげていただいたのが当時の三菱電機専務、後のトロン協会の専務理事になられる中野隆生氏。氏はあらゆる機会をとらえて独自技術の重要性やオープン、フリーな考え方を支持してくださった。そしてトヨタを始めとして多くのメーカに、TRONがいかに産業的に役立っているかを発表するよう働きかけられた。これがTRONの再認識へとつながっていく。

IEEEというコンピュータと電気電子の国際学会のゴールデンコアメンバーに推挙され、TRONのシンポジウムにもIEEEが協賛してくれた。日本でもNHKの「プロジェクトX」で取り上げられ、紫綬褒章や日本学士院賞、リコーの創業者・市村清氏創設の市村学術賞特別賞、NECのC&C賞、また武田理研創業者の武田郁夫氏創設の武田賞をいただいた。武田賞は世界にオープンアーキテクチャを広めたということで、Linuxのトーバル氏とGNUで有名なMITのストールマン氏との共同受賞。そして2003年にはマイクロソフトが、当時米国本社の副社長であった古川氏の働きでTRONプロジェクトに参入することとなる。

IEEE Proceedings
武田賞

TRONWARE VOL.150より再録