TRONプロジェクト30周年特別対談

近藤 史朗 氏
株式会社リコー 会長執行役員
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坂村 健
TRONプロジェクトリーダー
 

近藤 先生はリコー創業者の市村清が設立した、市村学術賞を受賞していらっしゃって…。第33回ですよね。

坂村 そうなんです。特別賞をいただいています。

近藤 もう13年前くらいですか。今年で47回ですけど、特別賞って過去に3回しか出てないんですよ。

坂村 そうなんですか。それは光栄です。第33回市村学術賞特別賞をいただいた時に「ノーベル賞にコンピュータの分野はないけど、それに代わって」って話で、感激した覚えがあります。残念なことに、電気情報通信やコンピュータの分野でのノーベル賞というのはないですから、物理か化学か…。

近藤 ないんですか。古いんですね(笑)。

坂村 それはダイナマイトの時代の話なので、ないんですね(笑)。

近藤 そういうことで、そういうご縁があったっていうのがね。

坂村 それどころか1984年にリアルタイムの産業機器組込みコンピュータから始まったTRONプロジェクトに、1987年から継続して援助していただいておりまして、リコー様には非常に感謝しております。
TRONではオープンアーキテクチャといいまして、たとえばOSですとソースコードも全部公開するということをやっています。今でこそLinuxやAndroidなどでこのやり方はポピュラーになってきましたが、当時はなかなか理解が得られなくて、公開するという考え方にはついていけないという方が多かったんです。でも、“情けは人の為ならず”というか、自分たちのためにもなるのです。公開することによってコンピュータソフトウェアのバグの出現曲線が急激に減るんです。それをクローズにしてしまうと、全部自分で責任もって直さないといけなくなります。

近藤 そうですね、大変ですよね。

坂村 大変なことになってしまう。そういうプロジェクトを84年からやり続けまして、おかげさまで小惑星探査機「はやぶさ」、電子楽器、カメラやプリンタなど、いろいろなものに入るようになって、日本でのシェアは61%。世界でも半分位だと思っています。リコーさんでもたくさん使っていただいてますね。

近藤 私は、元々ファクシミリの出身なんですが、1994年からデジタル複写機の開発をやってきました。うちのデジタル機は、基本的には全部エンジンコントロールでお世話になっているんですよ。これはプリンタもそうです。

坂村 みんな、共通点がありますね。

近藤 リアルタイム性が欲しいところには最新機種も全部使っています。カメラもプロジェクターもそうですし、ほとんどの機器は先生にお世話になっていますから、サポートしないわけにはいきません(笑)。

坂村 ありがとうございます(笑)。
しかし、こういう機械制御のコンピュータはパソコン用のものとは違うということは、やっぱり一般にはよく理解されておらず、Microsoftに負けちゃった、みたいな誤解をしている方もいて。

近藤 全く違うものですよね。

坂村 こういうエンジンのコントロールのような産業機器制御をスマホに入っているOSでやるわけにはいかないので、スマホを接続することはできても、この中をスマホと同じにしてしまうわけにはいかないんですよね。それがなかなか理解されなくて(笑)。
市村学術賞では、そういう専門家から見てリアルタイムOSや組込みOSが重要なんだということを評価していただいたのが大変嬉しいです。

近藤 私思ったのですけど、人間の脳で言うと、TRONはどっちかというと小脳とか脳幹の機能みたいなものですね。ほかのUNIX系のものなどは、どっちかというと大脳系ですよね。だから違いますよね。どちらもなくなったら人間生きていけないところは同じですけど。

坂村 84年当初はこういう機械はそれぞれ独立してたんですけど、やっと最近になって、こういう組込み機器や産業機器をネットでつなごうと話題になってきました。

近藤 われわれもやっています(笑)。

坂村 ということで、リコーさんはこの30年間でどういうふうに変貌して、何を目指そうとしているのか、というあたりを今日は伺いたいと思ったのですが。

近藤 複写機はネットワークとの融合性を含めてまだまだ進化していきますけれども、中身の制御系のリアルタイム性が必要なものに関しては変わらずリアルタイムOSを使っていくと思うのです。その外側をどういうふうに進化させるかが非常に大きなテーマになっています。今はスマホとかタブレットとかをうまく使わせるためのターミナルのような働きができるように、インターネットの入口と出口のところを進化させていくという考え方で取り組んでいます。先生がユビキタスで目指している世界というのは、ビッグバンのようにコンピューティングが世界的に飛び散っていく、宇宙の中に飛び散っていく、そういう感覚なんですよね。全てのオフィス中の機器はネットにつながっている。リコーグループ全体で言いますと、たとえばオフィスの中の蛍光灯ひとつにもネットワーク機能を積もうとか、あるいは医療や農業に貢献できるビジネスを進める上でも、カメラと一緒、センサーと一緒、システムと一緒とかという形でどんどんコンピューティングというものは入ってきます。それは先生が狙っているユビキタス社会の正常な進化じゃないかと思っています。そういうウェーブって誰が作るんだろうなと思っていたら、結構先生が作っているんですね(笑)。

坂村 (笑)。基本的なエンジンの部分はどうでしょう。プリンタでもファクシミリでも一緒だと思うんですけど、最近はこれもかなり進化しています。

近藤 進化しているのですが、たとえばファクシミリは最初から、24時間使われるので、そのステータス監視をしてたんですよ。

坂村 なるほどね。今で言うインダストリアル・インターネット(笑)。

近藤 複写機も2004年から、ステータスを定期的に監視する@Remote(アットリモート)というのをやっています。ところが、お客様の機械がどういうステータスになっているか、たとえば紙詰まりをしてるとか、ドアが開いているとか、トナーが少ないとか、全部わかるので、最初はビックリするお客様もいらっしゃいました。

坂村 うまく説明しないと、難しいですね。プライバシーとか、誰の責任で誰がどういう情報を、とかだけでなく、感情的なものもからむから。これはビッグデータでも同じような話がありますが。

近藤 そうですね。ようやくそれが議論されるようになり、ネットワーク社会がどういうふうになっていくのかが、これからのテーマなんだと思います。だからこういう小脳みたいな部分は、これから車や産業機器でもすごく発展すると思うんです。

坂村 昔はできなかったいろいろなことができるようになってきています。複写機、これ自身も進化してインテリジェントを持つようになるので、たとえば昔だったらトナーが足りなくなったことは点検に回って来るサービスマンが見つけて補充していたのが、機械自身がネットにつながっているので、トナーがなくなりそうだとわかると注文は機械が自動的にメールで出すとか。

近藤 そうなんですよ。もう後は配送するだけ。

坂村 そういうことができちゃいますね。紙もなくなってくれば、機械が担当の人にメールを出して「すみません、補充してください」と言うとか。人間と同じというわけにはいかないまでも――手足が付いていないから、自分で歩いていくとかできないけど(笑)。

近藤 ただあまりやりすぎると気持ち悪がられる(笑)。

坂村 今はその境目ですよね(笑)。
ネット社会になってくると、人々の考えもだんだん変わってきて、最初電子メールが流行ったときに、会社で隣の席にいるのにひと言もしゃべらないでメールだけで話すのって、いかがなものかと私も思っていたのですけど、それで争いが起きないのなら、いいのかなとか。そういう心境の変化が社会全体に影響を与え、複写機からメールが来て、「紙を入れてくれませんか?」と言われたって、人間が言っても大して変わらないのかなって(笑)。今はいろいろな考え方がだんだん変わってきたんじゃないかなと思うんですけど、どうですか? 若い人たちは、昔会長がやられてた頃とは違うのではないですか?

近藤 ちょっと、訓練されすぎてます(笑)。

坂村 訓練されすぎてる(笑)?

近藤 オフィスというのは、会社にいて時間を拘束して、事務作業をする場所だと思ってる方がたくさんいらっしゃると思うんですけど、今はもう会社って事務作業するところじゃないんですよ。転記をするとかデータを解析するとか、ほとんどの仕事はコンピュータがこなしていきますから、じゃあオフィスは何をするところなの?というと、僕が思っているのは知識創造をする場所だと。たとえば会って話をすることによって、この人のアイデアはこういうアイデアか、あるいはこういう考え方かと、自分自身の考え方との知能衝突というか、化学反応ですよね。そうした衝突や反応が起きる場所がオフィスですから、ビジュアルのコミュニケーションをどんどんさせていこうじゃないかというので、われわれはそのために、ユニファイドコミュニケーションシステム(ビデオ会議システム)だとか、インタラクティブホワイトボード(電子黒板)だとか、そういうデバイスをどんどん出しているんです。それは単体でウォークマンみたいに売れるなんて思ってないです。それを使って、人と人とが融合しながら新しい知恵を出していく場作りまでやっていこうじゃないかと。

坂村 なるほどね。

近藤 コンピューティングの世界が仕事をどんどん肩代わりして、残った時間をどのように知識創造にするかだと思うのですが、若い連中はどうですか?と訊かれたときに、やっぱりコミュニケーションの力が、ちょっと足りてないなというのはあります。優秀なわりにはね。

坂村 今のお話を聞くと、リコーはファクシミリ、複写機をさらに発展させて、コミュニケーションカンパニーになろうとしているのかなと…コミュニケーションをサポートする総合カンパニー。

近藤 まだそこまで行ってないですけど、そっちの方向に行かざるを得ないと思うんですよ。ですから、東日本大震災で電力が不足した時、もう営業の人たちは会社に来なくていい、直接お客様の所に行きましょうと。そうするといろいろ問題が出るわけですよ。上司と会ってないとか、申請をしないといけないとか。じゃあ、自分たちがそういう働き方をしたときに、足りないものは何かと。そういう視点でデバイスを作りましょうよ、と。

坂村 なるほどね。

近藤 だからうちは、「モノ+コト」とよく言っているのですが、モノを出して、そのモノの上にいろんなコトをつなげていく方向を目指しているので、モノは絶対に捨てません。

坂村 モノを捨てるのはもったいない(笑)。私がつくづくコンピュータの本体を作っている方たちが気の毒だなと思うのは、昔の大型コンピュータは、メンテナンス代とか保守代が取れたんですよ。元々が高かったから。ところが、最近それ↙がどんどん安くなっていくと、数万円で売ってるもので保守代が何十万円だなんて誰も納得できないですよね。だからモノを捨ててクラウドとかに向かっている。その点、複写機とかはまだモノでも消耗品があるじゃないですか。極端なことをいうと機械をただで出しちゃったとしても、消耗品は使う限りずーっと必要なんですよね。

近藤 そうなんです。よくできたビジネスモデルなんですよ(笑)。

デジタルフルカラー複合機「RICOH MP C6003Z」(TRON採用)
インクジェットプリンター「RICOH SG 3120B SF」(TRON採用)
超短焦点プロジェクター「RICOH PJ WX4141N」

坂村 それに対してコンピュータ界は、製品をずっと長く保守して↗いくビジネスモデルを作れずに、売り切りになってしまって、ビジネスモデルがドラマチックに変わってしまったんですね。だからサービスとか何か別の方向に移行せざるを得なかったんですよ。コンピュータメーカーはリコーを羨ましいと思っていますよ。

近藤 ユビキタス社会の時代に、われわれはどういう役割を果たすか、どういうデバイスで貢献できるか、というところです。

坂村 そうですね。モノ――デバイスはサービスの蛇口ということですね。
最近もうひとつ世の中の話として、オープンデータが世界的に促進されてます。オープンデータをいかにうまく使うのかがこれから重要だということで、私もまず公共交通セクターのデータのオープン化をやっています。鉄道会社ですと駅関係の情報とか、電車の動的データまで出す。そのときにコンテストをやって、うまく利用してくれた人たちに賞金を出す。そういう動きも出てきているんですよ。
実はリコーさんも、若い方たちに対して、学生を集めて…。

近藤 Javaプログラミングコンテスト。

坂村 その審査委員長をやらせていただいております(笑)。

近藤 ありがとうございます。お礼を申し上げないといけない(笑)。

坂村 そういうコンテストを見ていて、オープンになってくる社会にリコーはかなり理解のある会社なんだなと思ったんです。コンテストって重要で、参加して、そこで戦うという競争がないと、オープン型の技術開発はうまくいかないですね。

近藤 ほんとですね。うちの北京ソフトウェア研究所の10周年記念事業で、うちの全天球のTHETA(シータ)というカメラを中国のトップ10の大学に貸し出して、これでどういうことができるか1ヶ月半から2ヶ月位で提案してこいというコンテストをやったんです。8月の結果は、1位が清華大学で、2位が北京大学、3位も清華大学(同じ大学の別チーム)。1位、2位は学生らしく学問的な方向だったのですが、3位のチームの学生は本当若くて2年生くらいだったと思うんですけど、ホテルの紹介サイトを作って、そこに全天球のカメラでホテルの部屋とかを全部撮って、ユーザはそれを360度見られるわけです。そういうソフトを作って、ホテルと組んで、ホテルからお金をもらうと(笑)。

坂村 単に技術があるだけでなくて、ビジネスモデルが付いてますね。

近藤 それで、彼らはパーティーのときに、「これで起業します」と言っているんです。2年生位の若い学生がですよ。

坂村 さすがアグレッシブですね(笑)。

近藤 今中国の1学年の学生の人数は1,600万人だそうです。そのうちの半分位は進学するとして、さらにそのうちの上位10%でも80万人いるわけです。日本の今の学生の1学年は100万人くらいです。つくづく中国はこれからすごく伸びてくるだろうなと感じますよね。

坂村 人がたくさんいることは重要なことですね。
中国との付き合いは長いんですか?

近藤 中国でのビジネスはカメラが長く、もう何十年も前からです。ただ、研究所を作ったのは10年位前です。Javaコンテストみたいなものを中国でやると、いいのを作ってくるんです。学生でも賞金は100万円くらいあげるんですよ。3位でも70万くらい(笑)。

坂村 それはすごいな。それで起業の資金の足しにするんでしょうね。

近藤 日本はみんな大学に入って良い会社に就職しようと、会社に入ることが目標なんだけど、彼らは違うんですね。

坂村 中国の学生の気質と日本の学生の気質の違いみたいなものがありますね。

近藤 アメリカ的ですよね。北京の研究所を中心にして大学とのパイプができているので、また今度そういうコンテストをやろうじゃないかと。

坂村 いつでもいくらでもご協力しますよ。

近藤 中国版Javaコンテスト(笑)。

坂村 プログラミングは、非常に重要だと思っているのですが、日本でも情報処理教育が重要だとここ10年くらい言われていまして、高校では「情報」科目は必修になっています。ところが残念なことに、大学の入試にないために勉強をしない。しかもその「情報」が、ほとんどWordとExcelの使い方を教えるみたいな感じなんです。純粋のプログラミングというと中学の技術家庭の一部で3年通して5、6時間しかない。

近藤 あ、それだけですか。

坂村 世界は気がつきはじめて、イギリスは今年から、5歳からのプログラム教育を義務教育にしようと。ヨーロッパやアメリカでは、道具としてのコンピュータの時代はもう終わったと。どんな職に就くにしろ、その助けになる読み書き算数のような基礎教養としてプログラミングを習得することが絶対だということで、教育体系も変えようとしているんです。日本はそのようになっていないので、早く教育課程を変えるべきだと政府に一生懸命言っています。

近藤 われわれの開発でもエンジン制御とかをやっている人たちというのは、会社の中でいうとマイノリティなんですね。本当に未来のことを考えていくと、もっと小脳部分というか肉体部分を鍛えておかないと、いらない機能をいっぱい付けちゃう。みんな使わない機能で争っちゃうみたいな部分があるじゃないですか。

坂村 なるほどね。だから単機能に絞って、ネットにつなげてマッシュアップするような形にもってくという。

近藤 そうそう。ほとんど使わないものを作っているんですよ。うちの会社でもそういったことがあります。マーケティングがこれがないと売れないというから、てんこもりの仕様書になる。増えすぎたものを削除しろと言うと、削除するのにまた時間がかかる。大脳系のソフトというのはちょっと方向性の見直しが必要かもしれません。

坂村 私は最近、IoTで重要なのは機能を絞って、本質的な部分をもっと研ぎすまして、それ以外はネットの中で、ほかのものを使ってしまえばいいんじゃないかと、そういう発想でやっています。
ぜひ1度、私に未来の複写機をやらせてほしい!(笑)。

近藤 そうですね(笑)。

坂村 私、建築とかデザインが大好きで、インテリアデザインをやったり、博物館で展示のデザインをやったり、TRONとは別の仕事もちょっとやってたんです(笑)。

近藤 へぇ〜。おもしろい。

坂村 リコーさんは新しいものを手がけるのがお好きですよね(笑)。

近藤 好きです。個人的にも大好きです。先生、こういうのやって、結構叩かれたでしょ。

坂村 えぇ。叩かれることもありました。

近藤 私も実は結構叩かれました。超短焦点のプロジェクターを作ったら一部のメディアには最後発と言われました。あれはまだ発展性があるんですよ。

坂村 超短焦点プロジェクターは私のところでも使わせていただいていますが、あれすごくいい。

近藤 ありがとうございます。

坂村 プロジェクターを設置するためにスパンを取らないといけないとデザインをいじめるんですね。超短焦点だと、ここをスクリーンにするなら、この椅子の後ろに隠すとか、いろんな面白い使い方ができるので、非常にいいですね。

近藤 ああいうものを面白いと見てくださる先生はやっぱりいいですね。われわれがある機能を持ったものを提供すると、才能のある人はもっと違う使い方をする。

坂村 これからもどんどん新しいことをやるつもりですが、TRONに望まれること何かありますか?

近藤 うちのエンジニアから言われているのは、エンジニアをもっと増やさないとやっぱり良いものであっても衰退すると言われています。海外の展開も、ほかのメーカーと組んで、どこでもエンジニアリングリソースが使えるようにするということが必要だと。

坂村 1番目におっしゃられたことは、組込み系の人気がなくなってきてしまって、人集めが大変なんです。これは社会全体で取り組む必要を感じています。2番目は今やろうと思っていまして、30年で日本の成長に少なからずとも貢献できたと自負していますので、これからは世界のほかの国、特に発展途上国でTRONを使い新しいアイデアで発展をお助けしたい。30年間支えていただいてありがとうございます。またこれから先もぜひよろしくお願いいたします(笑)。

TRONWARE VOL.150より再録