TRONプロジェクト30周年特別対談

中山 正 氏
株式会社ニコン 執行役員 映像事業部 マーケティング統括部長
×
坂村 健
TRONプロジェクトリーダー

坂村 リアルタイムの組込みOSを作るオープンプロジェクトを始めて、ちょうど30年経ちました。TRONは全世界の半分くらい、日本とアジアは大体6割くらいのシェアを占めています。エプソン、リコー、日立、三菱、NECなど、コンシューマプロダクトや産業制御機器の中で、さらにはヤマハの電子楽器とか、いろいろなものに使われています。
TRON以外の組込みリアルタイムOSはオープンではなく商品なので、ただではない、というか結講高い。それに比べてTRONはロイヤリティフリー。サポートが要らないとなればトロンフォーラムからソースコードを取っていただければタダです。面倒くさいと思えばサポートする会社がたくさんありますから、これは有償となりますが、いくらでもサポートしてくれます。

中山 われわれの場合はずっとTRONを使っています。歴代イーソルさんにサポート等お世話になっているので、タダではありませんが(笑)、コスト的なメリットは確かに感じています。

坂村 LinuxでもAndroidでもそうだと思いますが、もともとの本体がタダでも、開発環境でお金を取るか、またはサポートで取るか、一ついくらのロイヤリティーではないにしろ、周辺ビジネスはあります。逆に、まったくビジネスにならないとエコシステムもできませんから栄えないんですね。コンピューター系の会社だと当然ですけど人がいますから全部自分でサポートできるでしょうし、それが本業です。しかしアプリケーション系の会社ですと、コンピューターを使って製品を作るのが本筋なので、どこか開発をサポートしてくれるパートナーの会社と一緒にやることは一般的ですね。

中山 私はニコンに1986年に入社しましたが、先生がTRONプロジェクトを始められた直後で、入社してすぐに、先生が書かれたTRONの夢というような本を読んだのをよく覚えています。コンピュータを誰でも使えるようにしなきゃいけないということをおっしゃっていて、当時はまだMS-DOSの時代ですから、とても感銘を受けた記憶があります。まさかこんな形でお会いできるとは思っていなかったです(笑)。

坂村 ありがとうございます。

2014年春発売の売れ筋機種 S6900

中山 ご存知の通り、ニコンのカメラはフィルムカメラからスタートしていますが、私は入社したときからフィルムスキャナや電子画像を担当していました。1998年~2000年頃にフィルムカメラからデジタルカメラへの急速な移行が起こり、それで弱小部門だった電子画像部門が、社内で突然脚光を浴びるようになりました。ニコンの中でも電子画像・デジタル機器が急速に拡がって、そのおかげで会社としてマーケットの変化を前向きに捉えることができました。
その後、2000年頃からデジタルカメラの方がフィルムカメラに比べて出荷量も上がってきまして、2002年に、デジタル一眼レフカメラ「D100」を出しました。それまでのデジタル一眼レフは100万円近い値段で、プロの方は使い始めていましたが、アマチュアまではなかなか普及していませんでした。それを「D100」は希望小売価格30万円で売り出して、アマチュアのフォトグラファーの方でもようやく買えるようになった。デジタル一眼レフを民生へと拡げたエポックメイキングなカメラの1つでした。
この2002年発売の「D100」がTRONを使った最初のカメラで、それ以降、現在販売している一眼レフカメラ、「Nikon 1」という新しいシリーズに至るまで、レンズ交換式カメラではTRONをほぼ全モデルで使っております。

坂村 12年間で急激な変化ですよね。2002年からどんどん増えていったんですか?

中山 基本的にはだんだんと増えていき、すぐにほぼ全数になって、µITRON 4.0になってから全面的にイーソルさんにお世話になるようになりました。去年からはT-Kernelを使ったものが出ています。

坂村 ちなみにフィルムカメラを売らなくなったのはいつなんですか?

中山 いや、まだ売ってますよ(笑)。

坂村 まだ売ってるんですか! それは失礼しました。

中山 現在2機種を販売しておりますが、出荷実績からいえばなくなったと言われてもしょうがない。0.1%以下です。

坂村 0.1%以下!!!(笑)

中山 数百台のレベルですけれども、芸術や表現などへのこだわりからフィルムがいいというお客様がいらっしゃいますので、現状のモデルはしばらくは続けるつもりです。

坂村 いまの高級一眼レフのカメラ、マイコンは何個入っているんですか? マルチコアをお使いで?

中山 マルチコアも使ってます。サブシステムとして局所的にちょっとした制御をさせるためにすごく小さいマイコンが載ってるところもありますけれども、基本的には2チップ構成で、制御系のRISCマイコンと、画像処理を司っているハードウェアがメインのASICという構成ですね。

坂村 いま映像事業は全体の何パーセントを占めているんでしょう?

中山 全体の7割くらいですね。残りの3割は、半導体露光装置、フラットパネルディスプレイ露光装置を扱う精機事業と、顕微鏡、測定機などを扱うインストルメンツ事業です。

坂村 露光装置は、光学系のことをおやりになっていたから、応用ということですか。

中山 半導体はリソグラフィのプロセスで作るので、回路のパターンを縮小投影して露光する装置です。フラットパネルディスプレイの露光装置は、高いシェアを持っています。

坂村 年商はどのくらいでしょう?

中山 大体9,000億円くらい。うち映像事業が6,000億(国内外)という状況です。

坂村 国内外の比率というと?

中山 映像事業ですと、9割以上が海外ですね。ですから円ベースの収入は1割以下です。

坂村 そうなんですか。そうだとすると円安の今、良いんじゃないですか(笑)?

中山 かなりの比率でドルベースで調達してますので、レバレッジが効いてバランスしているところもありますけれども、どちらかといえばプラスになってます。

坂村 製造は全世界分散なんですか?

タイ工場内の風景

中山 自社工場は日本、中国、タイにあり、一番大きい工場はタイですね。ニコンの従業員は全世界で約2万5千人ですが、その内の7,000人強はタイの工場にいます。タイの工場はとても大きく、かつ24時間稼働で、ほとんどのデジタル一眼レフカメラを作っています。

坂村 ほとんどのデジタル一眼レフカメラがタイ製なんですね。

中山 はい、そうです。海外でそんな精密なものが生産できるのかという話が最初はありましたが、国内の工場でさえ生産が難しいと思われるものでも、今ではタイ工場できちんと立ち上げてきますし、カメラのボディ――T-Kernelなどが入っているのはボディの方なんですけれども――もレンズもかなりのモデルをタイで生産しています。文字通り私たちの主力工場です。

坂村 では開発は?

中山 開発は日本ですね。以前は西大井に開発拠点がありましたが、今年2月にこの本社ビル(品川インターシティC棟)に入りました。そこでソフトウェア部隊、イーソルさんなど外部の協力も仰ぎましてソフトを開発しています。

坂村 何人くらいいらっしゃるんですか?

中山 開発全体で数百名規模の人員体制です。

坂村 やはり製造部隊が多いってことですよね?

中山 全体の半数近くはものづくり関連の業務に携わっています。

坂村 ものづくりカンパニーですね。

中山 いまのニコンは完全にものづくりカンパニーですね。

坂村 やはりこれからも映像事業が主力ですか?

中山 映像事業が主力なのはまず間違いないのですが、スマホがこれだけ台頭して、スマホにはカメラ機能が搭載されていますので、この状況でどうやってわれわれのカメラを使っていただくかが一つの課題です。
先生がユビキタス・ネットワーキング研究所を立ち上げられたのはもう10年前ですよね? そのときに、これからはデバイスがつながっていくとおっしゃっていて、実はあまりピンときていなかったのですが、いまになってみますとわれわれのカメラもどうやってつなげていくのかが課題になってきています。
カメラはもちろん続けますが、いままでのカメラのままではいられないだろうと考えています。どう変わるのかの一つとして、ネットワークとの親和性が大きなテーマになっていくのは事実です。Wi-Fiをカメラに最初に入れたのはニコンでして、もう10年も前に始めて、いま出しているカメラもかなりのモデルがWi-Fi搭載ですが、まだまだ「どこでも」「なんでも」とはなっておらず、今後はその部分を強化していかなければいけないだろうと思っています。

坂村 30年前から「組込みがすべてネットにつながる」って言ってたんですけど、ネットワークの環境が悪かったせいかそのころは受けなかったんですが、ここ10年で状況が大きく変わって、やっといま現実になってきたんですね。

中山 先生が言いだしたころは、まだみんな理解できなかったんじゃないですか(笑)。

坂村 そうそう(笑)。いつも「早すぎなんじゃないの?」って言われるんです。これは84年ころに私が描いていたスケッチなんですけれど、カメラについてこの当時、磁気テープは使わなくなって、半導体の中に画像が入るだろうって話をしたんですよ。これはコンセプトデザインなんですけれども、それを実際に80年代に試作機を作るとか、こういったウェアラブル端末で健康管理したりするって話をしたんですけれども、受けなかったですね。これも早すぎちゃって。スマホも原型を2000年ころに作ったんですけれども、このころi-modeとかガラケーがものすごく幅を利かせていたので受けなかったです。
これは道路の中にチップを埋め込むとか、街灯に付けたりとか、あらゆるモノにコンピュータを組み込むというものですが、これもやっと今、使えるようになってきました。人間工学的なキーボードを作るのもずっとやっていますし、あとUWB(Ultra Wide Band)という非常に小さな新しい通信モジュールの試作をするとか、球状太陽電池のセンサーノードを農場に付けるとか防災ステーションというものも10年くらい前からやっています。
住宅やビルの設計もしていて、1989年にTRON HOUSEシリーズの最初のバージョンを東京の六本木に竹中工務店のスポンサーで建てたんですよ。それをTOYOTAさんがご覧になって、2005年に「PAPI」という未来の家をTOYOTAの中央研究所の中に作ったんです。この中にはハイブリットカーが入ってて、オール電化の家だから電気がなくなると止まっちゃうので、車に充電するだけじゃなくて、ハイブリットカーを逆に発電機として使ったらどうかって言ったが受けなかったですよ。

中山 最近話題になってますよ。

坂村 日本は地震も多いし、いつかそういうときが来るかもしれないから、言っていたのですが、あまり早く言い過ぎると受けないんですよ。日本はコンサバティブな国なので、未来のデザインは面白いとは言われるのですが、本当にものを作っている人たちが本当に作る気にならないとイノベーションにつながらないですね。
ほかにも、ある会社の会議室をデザインしたり――東京ミッドタウンの会議棟のデザインも私がやったんですよ。これはある会社の図書館、ミュージアムの設計も好きでこういうのもやったり。
東京大学でも10年くらい前に、いまで言うMOOCsみたいのをやろうとして、東大の授業を衛星放送で24時間流すチャンネルを作ろうって言ったんですけど、大反対(笑)。ただ実験はやろうと思って。プロジェクトの進め方として結局ドネーションで成り立っているので、変なこと言っても面白いと思ってスポンサーになってくれるところがあって――そのときは伊藤忠とNTTだったんですけれども、当時出始めのインターネットのストリーミングと衛星放送を使って、東大の講義の配信をしました。いまはMOOCsといって、MITとかスタンフォード大学とかネットを使った配信をみんなやってます。何か未来を開拓したいときにはぜひ声をかけていただければ、いつでもお手伝いします(笑)。

2月に発売された新製品 S3700

中山 面白いなと拝見していたのが、街のこういったタグやマーカですね。3年くらい前からオランダで私どものNPS(ニコンプロフェッショナルサービス)のメンバー、つまりプロのフォトグラファーの方ですね、その方たちにご協力をお願いして、“こういうところで写真を撮ると面白いよ” という情報を登録していただき、カメラをONにして映る風景の上に“ ここにこういうのがあります” “こっちにこういうのがあります” と撮影スポット案内を出すスマホアプリを出して、結構ダウンロードしていただいています。今後カメラの電子ファインダーに表示しようと思えばできるので、普通に見ただけではなくてファインダーを通すともっと情報が見えるというのが、フォトグラファーをインスパイアして面白いのではないかと考えています。

坂村 それもやりました。GPSではなく街にチップを埋め込んで、そこで写真コンテストをやったら面白いんじゃないかという話です。「東京ユビキタス計画・銀座」という名前で東京都と国土交通省の協賛で、銀座でucode電子タグが貼ってあるスポットを決めて、そこで写真を撮って応募してもらったんです。通常はメンテナンスのために電子タグは使われていて、道路管理者がタブレットなどで電子タグにタッチすると設計図が画面に出てくるようになっているのですが、それだけじゃ面白くないので、観光ガイドとか、写真コンテストをやろうということになって。もっと早くお会いできていたらスポンサーになってほしかったくらいです。

中山 これは技術的には何で発信しているんですか?

坂村 このとき銀座の街灯などにつけたのはNFCです。
このucodeというIDは、さらに赤外線とかBluetooth Low Energy(BLE)とか、いろんな方法で降らせられるんですよ。ucodeとその発信の方法は別にとなっています。GPSだと銀座で誤差が10mくらいありますが、BLEを使うと地下街とかでも自分がどこにいるかが1mくらいの誤差でわかります。だからどこから写真を撮ったかが正確にわかるんですね。
写真コンテストではニコンさんのオランダと同じで、最初はプロの方にお手本を撮ってもらったんです。それから一般の応募をやったら、結構面白い写真の応募がありました。

中山 幸いにして写真をお好きな方は多いので、さまざまなことができるのではないかなと思います。

坂村 そうですね。街と写真に興味がある方は多い。

中山 カメラがネットワーク接続されていけば、さらにさまざまな形で情報を表示することなどが可能になるので、ぜひ一緒にやらせていただければと思います。

坂村 ぜひ一緒にやりたい。いまのカメラは機能がいろいろ入っており、下手するとカメラの中にパソコンが入ってるみたいじゃないですか。数年前から言ってるんですけど、液晶付けるの止めて、スマホで見ればいいって。カメラの方はもっと「撮る」ことだけに専念してしまって……ということを言ったら、似たようなものを作ってくれたメーカーはありますけれど。カメラはリアルタイム性を活かして写真を撮ることに特化して、たとえばリアルタイムでピントが合うとか絞りが計算できることだけに特化させる。画面で確認するとか、そういうところは喧嘩しないでスマホにまかせて、撮ることだけに専任したカメラができないかと。そのときはカメラを動作させるAPI(Application Programing Interface)を全部公開してほしい。同じことをビデオ屋さんにも言っていて、たとえばビデオに操作パネルいらない、スマホで全部やればいいから、ビデオはもう撮るだけに特化した方が良いと思っているのです。結果ビデオは単なる黒い箱になります。

中山 そうですね。録画は最近そういうの出てきてますね。

坂村 カメラも極端なこと言うと、液晶なし、撮るだけ(笑)。そうすると価格も下がって、APIを公開してもらえば、ノートパッドとかスマホをみんな持ってるから、確認したければ、それで見ればいいと。液晶のところに資金投入するならもっと高性能でいいレンズ付けてくれ、とかね。ちょっと飛んだカメラが面白いと思うんですね。

中山 将来製品については、言いたくても言えません。しかし、面白いものがいくつもあります。

坂村 みんながスマホを持つようになって、時代がどんどん変わってきた。そういう時代の新しい組込み機器が設計できるんじゃないかという話でして…。

中山 シンプルに単機能に徹して、それが持っている機能をもっと上げろとおっしゃるのもよく分かります。そういった方向性もやってないわけではないのですが、僕らは両方向見ており、こちらはなるべくネットワークにもっと積極的につなげたいという話はしております。

坂村 ネットワークにつながらないって話はもうないです。無線が入ってれば、そのままクラウドに上げちゃいますから、アルバムは全部クラウドになっちゃう。もうメモリカードの入れ替えもないし、無限にシャッターが切れる。

中山 それは本当に時間の問題で、そうなると思っています。

坂村 私も歳をとってきたものだから最近、ショートタームメモリが……「一昨日どなたと会ったのかな?」とかなってしまったり。だから人と会ったときのシーンをそのまま残しておきたくなってきました。いまならお会いした方全員を写真に撮っておく「Lifelog」もできますからね。慎重にシャッターチャンスをうかがうのも良いけれど、いまだと何万枚も撮った中で一番良いのを自動的に選ぶとか、昔とは違う感じになってきたのかなって思います。

中山 それは本当にその通りだと思います。写真のあり方そのものが変わってきてしまいましたね。

坂村 そうだったとしてもカメラを作っていくときには、やはり良いレンズを持っていなければ絶対駄目だし、リアルタイムに計算してくれる高速なコンピュータとソフトは必要だし、画像処理のスペックも重要だし、そういったベースのテクノロジーがないと、飛んだことを考えただけじゃしょうがない。そういう意味で日本のカメラメーカーは、フィルムカメラのときからかなりの伝統と培われたテクノロジーの集積をお持ちだから、絶対世界で勝てると思いますけれどもね(笑)。

中山 光学の部分はわれわれは絶対的な自信を持っていますし、それはしばらく続くと思います。

坂村 オープンじゃないものがたくさんあるなかで、ご理解があったからこそオープン系のTRONを使っていただいていることが私には嬉しいのですが、こういったオープンソースに対して、今後こうしたらいいとか要望はありますか?

中山 何十年も言われていることですが、ネットワーク接続などでカメラが外へ広がっていこうとすると、ソフトウェアの開発費がふくれあがって無視できなくなってくる。昔はそれこそリアルタイムモニタを自分で書いたりしていた時代もあったわけですが、これからはオープンなものを取り入れていく。それは、早く価値を提供できる、事業的にはコストを圧縮できるという両面でメリットがあると言えます。
これからのTRON・T-Kernelでいいますと、ネットワークの通信には必ず相手があり、その相手との実績があるソフトウェアモジュールやミドルウェアがどのくらいあるかが、非常に重要になってくる。作ったばかりのものはこっちとはつながるがこっちとはつながらないなどいろいろ出てくるので、だからオープンな環境の中で、われわれが作ったもの、他社が作ったものをお互いに使わせてもらい、いち早く商品投入できるといった辺りが、今後非常に大きな鍵になるのではないかと思います。
最初はリアルタイム性が良いことから使ったものが、世界が変わるにつれて、ネットワーク社会の中でオープン性を生かして世の中にあるリソースを総合活用できるようになる。そこが大きいと思いますね。

坂村 いまおっしゃられたことを実現するための「エコシステム」を作っていまして、相互にミドルウェアを流通させられないかとかの手助けもやってますので、ぜひトロンフォーラムの活動に注目していただきたい(笑)! 今日はどうもいろいろとありがとうございました。

中山 こちらこそありがとうございました。

TRONWARE VOL.152より再録