坂村 TRONは、組込み用途を目的としたリアルタイムOSですが、多くのところでいろいろな用途に使われています。たとえばITRONは小惑星探査機「はやぶさ」の中にも入っています。
今年はTRONプロジェクト30年。実は一番最初に産業界でTRONをサポートしようと言っていただいたのはNECなんです。当時NECはマイコンビジネスに非常に力を入れていました。もう30年程前ですけれど今でもよく覚えてます。多摩川を渡った武蔵小杉の近くに工場がありますよね? あそこに何回も行ったことがあります。
遠藤 半導体の事業は数年前に事業統合してルネサス エレクトロニクスとなりましたが、今もまだ一部がその玉川事業場には残っています。
坂村 ルネサスと事業統合した後もスーパーコンピュータの開発をやっていらっしゃるのですね。
最初にITRON―インダストリアル・トロンのインプリメンテーションをしたときなのですが、私が創ったITRONをNECのマイコンに載せるため、協力していました。当時の半導体事業部門に桑田さんという女性の技術者がおられて、上司の門田さんと一緒に、週に一度くらい東京大学理学部情報科学科にあった私の研究室に、よくお見えになられていました。
おかげさまで30年経ちまして、TRONファミリーで全世界のリアルタイムOSシェアの半分くらい、今の日本だと60%くらいのシェアをとるようになりました。
TRONは今「T-Engineフォーラム」というNon-Profit Organization(NPO)が主体になって、ドネーション(寄与)で成り立っているプロジェクトです。全世界のいろいろな所から寄与いただいて進んでおり、オープンアーキテクチャとして無料で仕様やソースコードを出しています。NECをはじめとする世界中の会社に支えられてなんとか30年続けてこれた、と。大変感謝しております。
最近では、機械の中に入れる組込みコンピュータの重要性が以前より認識されるようになってきまして、IoT(Internet of Things)――いろいろなものの中に入れたコンピュータを全部ネットにつなごうという話に関心が集まるようになり、TRONは世界的に再注目されるようになっています。TRONは世界のプロセッサのほとんどに載っています。日本はなかなか、こういうコンピュータのインフラ関係でイニシアティブを取るのは難しかったんですが、珍しく組込みの分野では取れてるのかなと思っています。
今日の対談では、まず最初に最近のNECのことをお話しいただこうと思います。
遠藤 われわれの事業は「ICT」という言い方で一つにまとめられてますが、基本的にはコンピュータ技術とコミュニケーション技術の二つの要素からなっていると考えています。1977年、今から6代前の社長であった小林宏治氏がC&Cという考え方を提唱しました。これは近い未来に、コンピュータとコミュニケーションが融合する時代が到来し、この2つの力が相まって非常に大きなサービスの変革が起きる、という考え方です。
それから30数年経って、チップセットの能力向上、マルチコアの進展、さらにはバーチャライゼーション(仮想化)技術の進化などによって、コンピュータの能力は当時よりも格段に上がりました。そして、ネットワークはブロードバンド化、これは固定網だけでなく、フレキシビリティのある無線網のブロードバンド化が一気に進みました。まさにコンピューティングとネットワークの2つがICTとして一つになり、クラウドを支えるプラットフォームとしての能力を持ってきた。クラウドというのは、どこかにハードウェアがあって、それがいかにも近くにあるがごとくバーチャルにネットワークを通して使えるという考え方で、オペレーション・エフィシェンシー(運用効率)が主な価値なのですけど、コンピュータとネットワークの力を使いきることで、もっと新しい価値が出せるようになった、それがビッグデータという形で表れてきているのだと考えています。
ビッグデータもクラウドも、コンピュータとネットワークという同じプラットフォームで支えられていて、この2つのプラットフォームをどうやって、価値のあるものにしていくのか、そこがまさにわれわれが集中する領域だろうと考えているところなんです。そういう意味で、選択と集中というけれども、この2つのプラットフォーム両方を持っているのもまたNECの特長なんです。
坂村 世界でも珍しいですよね。
遠藤 ええ、なかなかないと思います。ネットワークの力と、コンピュータの力の両方をもってソリューションを創りだす。まさにICTを使って新たな価値を提供するのがわれわれの役目であると認識しています。またこれからの未来を見据えたときには、このICTを使って貢献すべき領域が、さらに大きくなっていくと考えています。予測では世界に70億人いる人口が2050年には30%増えて90億人になる。そしてもっと重要なのは、アーバニゼーション(都市化率)が50%から70%になってしまうということです。現在の70億人のうち50%の35億人が都市に住んでいるわけですが、2050年には、これが63億人になってしまう。都市だけだと80%も人口が増えるということです。その結果として、エネルギーはいまよりも80%多く要る。都市に住むと食生活も変わるので、世界の人口そのものは30%しか増えなくとも、食料需要は70%増え、水も60%増えてしまう。このような本質的な課題を見据えて、社会インフラを安全、安心で公平、かつ効率的なものにしていくというのが、まさにICTの役目であり、その力を持つ私共が市場に果たす使命であり、企業としての大きな方向感ではないだろうかと。その方向感でもう一度われわれの市場に対するバリューを再定義しましょう、ということを今やっているのです。
坂村 今のお話を聞いていると、TRONプロジェクトが30年かかってやってきて、目指しているものに一致することがたくさんあって……(笑)。
遠藤 まさにその通りだと思います。私はそのクラウドやビッグデータ含めて、ICTが出せる力の価値がどこにあるんだろうかと常々考えていますが、一つはリアルタイム性。これは決定的に重要です。もう一つがダイナミック性で、これはリアルタイムの延長ですけども、大量の情報を集めてリアルタイムに処理をし、様々なサービスとしてご提供できることを指します。処理がリアルタイムというのは当たり前ですが、サービスもリアルタイムにご提供できるということです。もう一つは離れた場所からでもそのサービスが提供できるリモート性。この3つが大きな価値を社会インフラに与え、人間社会に大きな貢献をもたらすと思うのです。リアルタイム・ダイナミック・リモート、この3つが重要であって、それをICTで作りたい。
坂村 社長は昔、無線関係のお仕事を随分なさっていたのですね? 最近重要視されているのが、クラウドと組込みの融合。そのためには通信、ネットワークが必須。ユビキタス・コンピューティングとかInternet of Thingsとか言われている分野、昔はインデベンドだった組込み機械を全部ネットにつなぐ。そこで私が今一番注目しているのが無線で、今までは全部“有線”だったんですね。TRONプロジェクトでは未来住宅プロジェクトとか、未来ビルのプロジェクトとか多くのインテリジェントビルを作ってきたのですが、そのとき一番ネックになっていたのは、コンピューティングパワーよりも、辟易するほどの配線の量の多さでした。
そういう意味で無線は非常に重要だと思っていまして、IPv6を無線でやる国際標準になってきている6LoWPAN、それをTRONの上に作ろうと力を入れてやってます。
遠藤 具体的にはどのような取り組みをされているのですか。
坂村 一体化したモジュール、TRONのコンパクト性を生かして1チップでアプリケーションと6LoWPAN通信モジュールを実現したい。NECの携帯電話がITRONだけで作られていた頃は、ヒューマン・マシンインタフェース(HMI)は文字表示とボタンを押しての操作だけだった。しかし、その後タッチパネルやGUIとなると、リアルタイムOSというよりは、今のパソコンを中に入れることになった。今のスマホにも電波のコントロールのところにはTRONが入っているし、TRONでないと複雑な電波環境の変化に素早く応じて通信を維持することはできません。しかし、メールやブラウザとか、さらにアプリを後から入れるようになってくると、パソコンの情報処理系OSを入れた方が開発が楽。そこで、それらのためのアプリケーション・プロセッサがあって、別にTRONで動く機器制御関係のプロセッサがあるというマルチ・プロセッサ構成に、実は内部はなっています。
けれどもIoTになってくるとHMIが分離されて、機械は機械でネットにつなげて、人間とのインタフェースはその機械の中には入れずに、ネットの先のスマホやパッドでやればいいんじゃないかと、完全に分離できるようになった。
それで、機械の中には機械の制御に優れたTRON系のOSを入れる。ただし、昔と違いネット接続が大前提ですから、コンピュータと通信を一緒にしてしまったものを、これはNEC流にいうとC&Cを1チップにするということ。ディスプレイが必要になったら、ネットのスピードが速くなってるから、ネットにつながったスマホやパッドやパソコンのものを使えばいい。というようなものを目指しています。
もう一度NECと共同で、無線とコンピュータを1個にしてしまったチップをやりたいですね(笑)。
遠藤 コントロール側でもそうだし、センサー側でも溜まっていくデータを無線ですぐ出さないといけない。そういう部分も1チップ化されてくると価値が上がってくるし、いわゆるマシンツーマシン(M2M)が非常に重要なインフラサービス領域になる。
坂村 まったくそのとおりですね。コンピュータと通信の融合は重要だと言われているのですけれども、NECみたいな会社があまりないので、通信とコンピュータを別々の会社がやっている。通信モジュールがあって、コンピュータモジュールがあって、なんでこれ一緒にしないの?って技術的にはできるんですけれどね。今こそNECみたいな両方持ってる会社がやればできると私は信じているんですけれども(笑)。
私がNECの好きな所は、新しいことを最初におやりになるところなんですね。
遠藤 やりすぎてるところもありますけどね(笑)。
坂村 やりすぎた(笑)。
たとえば日本で半導体会社のおまけでパソコンを作ってたときに、そうじゃない本格的なパソコンを作ったのはNECだし、ネットのルータ作るとか通信ものは元々たくさんやっておられたし、遠藤社長がおやりになっていた基地局間を無線でつなぐ技術とか、おそらく今インフラを支えている機材は―プロが使うものであってコンシューマには直接関係ないかもしれないけれど―電電公社の時代からずーっと支えてきた。
無線は非常に重要で、私は昔から未来のデザイン、いろいろなものをデザインしてきましたが、そういうときにやっぱりネックになるのが、配線の化け物になってしまうこと。1989年に六本木にTRON HOUSEという未来住宅を作ったんですけれども、その住宅なんか、地下のコンピュータと全部スター結合でつなげたものですから、電線の化け物って言われたんですよね。2000年頃になるとLANが流石に出てきましたから配線もかなり楽になってきたのですが、それでも線が必要だった。やっと最近になってきて無線が真っ当に使えるようになってきて、無線の力は大きいなって私は思っています。
遠藤 配線の意味合いもありますが、多くの制約から解放されることに価値があると思います。これからのサービスを考えると、今後はもっと大量のデータの中から必要なデータを選びつつ、かつそのデータを活用して瞬時に新しいサービスを作り上げるという形がさらに増えていくと思います。そのときに、たとえば動いている物体に対しても様々な制約から解放できる。自動走行のための処理を自動車の中だけで完結する必要はないということです。ある判断は車載されるサーバ側でやっても構わない。そのかわり車が今どういった状況にあるかの全データはクラウド側にあるサーバに上げてもらわないといけないので、そこをワイヤレスでどのように作り上げていくか。車載とクラウドのそれぞれのサーバや、ネットワーク全体をみてレイテンシ(遅延)を抑えながら、コンピューティングパワーを使い、走行中の車に即座にリモートでサービスを提供できる。そういう意味でリモートには大きな価値がある。
坂村 今おっしゃったことは非常に本質的で重要なことだと思います。今はまだですけれども、これから先の世の中を考えると、たとえばロボットとか、ドローンとかの小さな飛行物体をコントロールしようとすると、線をつなげたまま空を飛ぶわけにいかないので、無線の重要性はこれからどんどん増してきて、しかもそれがネットに直結できる時代になってきた。ここがいいですよね。リアルタイムでバンド幅が広いものがオープンにつながらないとどうしようもない。
無線については私の研究所でもあらゆることをやっていて、うちはUWBまでやっているんですよ。なんとかしていろんな物体に付いているモノを、ネット――それもクローズドネットじゃなくてオープンネットに直結させようと。昔だったらハウスサーバなんてものがあったのが、全ての家の中にあるものをインターネットに直結させると。
それとIoTでクラウドが重要になってくるというのも前から考えていて、IoTのクラウドサービスのためのユビキタスIDアーキテクチャを10年くらいやっているんです。
認識するモノ全部にucodeというユニークコードを付けて、サーバ側からその無線でつながっているモノが何かをucodeというアイデンティファイアで認識する――世の中にあるモノを識別することがIoTの根本で、そこのところをオープンに実現するというアーキテクチャで、10年間かかってITU (International Telecommunications Union) で、日本発の国際標準にしました。10年くらい前からTRONとEUとの協力を始めて、フィンランドのVTTにucodeセンターを作ったり、イタリアのローマ大学、イギリス、フランスとも提携していて、標準化では力をお借りしました。ヨーロッパは産学協同の仕組みが日本と形態が合っているので話がうまくいき、協力は重要だと思っています。国際標準化するときにいろんな国の人達にもお世話になりましたし、国際協力は非常に重要だと思います。ぜひNECにもucodeをやっていただきたいと思っています。
最近ですとサーバ系では、オープンデータっていうのが非常に重要になってきて、政府が持っているデータとか公共的なセンサーデータとかをオープンにすることによって、アプリをみんなに作らせるという参加型の公共サービスのやり方が世界的な流れになってきています。東京メトロさんが10周年記念で電車の運行データをネットに上げるからこれを利用したアプリのコンテストを行っているのですが、その企画にも協力させていただいてます。こういうのをXPRIZE方式というのですが、技術開発をコンテストで活発化するやり方です。こうすると皆やる気が出て燃えるんですよね。そういうビックデータの公共資産としての重要性を、もっと産業界や普通の人に分ってもらえるようにしようという動きの一端でもあって、そういうデータを出すことによって…。
遠藤 いろいろな規制も改められるといいですね。そういう意味でも、TRONのようなオープンムーブメントに対しては、これからも大きな期待があります。
坂村 そうですね(笑)!
規制に関しては、私、国家戦略特区の委員もやっていまして、日本における規制とイノベーションの関係については、日々考えさせられています。ぜひそういう社会と技術の接点のような話をどんどん発言していただけると嬉しい。今日はいろいろお話いただきありがとうございました。