TRONプロジェクト30周年特別対談

小野寺 正 氏
KDDI株式会社 代表取締役会長
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坂村 健
TRONプロジェクトリーダー
 

坂村 小野寺さんとは、もう何十年も前からの、だいぶ長いお付き合いです。KDDIからは私の研究所に研究員の方がいらしたりしていた時期もありました。

小野寺 ユビキタス・ネットワークとかが言われ始めたころに、勉強しようと思って先生の本を読ませていただきました。

坂村 ありがとうございます。ユビキタス・コンピューティングやIoTは、それまで別々だった情報処理と組込みというコンピュータ関係の2つの流れが合流するというイノベーティブなコンセプトなので、なかなか理解いただくのが大変なんです。もう一つ大変なのは、やっぱりインフラストラクチャにならないと……。インターネットとも同じですけど、電子メールをみんなが使うようになるにも、まずはインターネット網が構築されない限り、閉じた利用になって広がりがない。KDDIは昔から電話網というインフラを作りをおやりになってたから、インフラ作りが大変なことは、よくお分かりになられている――というか、釈迦に説法ですね。第二電電からKDDIに社名も変わりましたが、始められてからどのぐらい経つのですか?

小野寺 昭和60(1985)年に通信自由化がありまして、私は昭和59(1984)年の6月に、第二電電企画株式会社を作るところからずっと関係してたんで、もう今年で30年ですね。

坂村 30年ですから、TRONプロジェクトがちょうど始まったころからですね。
小野寺会長はその前は……

小野寺 電電公社にいました。

坂村 電電公社にいらしてインフラを作るのは大変だってことは嫌というほどお分かりになっていたと思うんですけど、それをゼロからもう一度作ることになったときは、「やるぞ」って感じだったんですか(笑)? 何もないところから電電公社と同じことをやるのって、よく考えると大変で引きますよね。

小野寺 当時は、すでに電電公社でも光ファイバーをやってましたが、私はずっとマイクロ波無線通信をやってまして、ゼロからスタートするとすればマイクロしかないと思ってたんです。光については、鉄道沿いか高速道路沿いに引くか、どっちかしかないだろうけど、どっちも使わせてくれないだろうから、マイクロに行かざるを得ないだろう、と。マイクロも工事期間とかの問題は気になったんですけど、ずっとマイクロをやってましたし、ゼロから作るんであれば、これはむしろ面白いだろうと。

坂村 かえって面白いと。

小野寺 電電公社の場合、大きな組織になるとみんな縦割りですから、自分でやれる範囲が限られるわけですよ(笑)。ゼロからやるんであれば、白紙に絵を描くようなものですから、これは面白かろうと思ってたんです。
それと、これはみなさんびっくりするんですけども、電電公社は独占企業だったんですけれども、伝送路については、マイクロでいくか、同軸でいくか、それに光もあって、常に経済的な競争をやらざるを得ない環境にあったんですね。

坂村 なるほど。

小野寺 交換機と加入者系を中心とした線路はまったくの独占で、競争もないわけです。ところがわれわれのところは「伝送」と「無線」でもって常に競争をやっていて、それで経済比較も常にやっていたんですよね。東名阪に引くとすれば、コストがこのくらいってのは、もう分かっていた。僕の計算では、約30万のお客さんを取れば、東名阪のビジネスは成り立つ、と。勝算は持っていたんです。

坂村 でも最初お作りになったときはゼロでしょう?

小野寺 ゼロです。僕は営業なんて全然やったことないですから、30万のお客さんをどうやって取るのか、正直言って分からなかったんですけど、とにかく30万という目標の数字を達成すればペイはするよ、ということで、実は始めたんですよ。

坂村 形が一応できるのにどのくらいの年月がかかったんです?

小野寺 意外と早かったんですよ。昭和59年の秋からマイクロでやるってことを決めて、土地を買うのも12月くらいから始めてましたんで、われわれが想定したよりは早くできているんです。

坂村 最初は「全日本」じゃないですよね。

小野寺 東名阪です。これは各社ともやっぱりトラヒックが多い儲かる東京、名古屋、大阪から…(笑)。
当時の電電公社の総裁の真藤さんが、よく「競争を導入しても競争相手がいないんじゃダメだ」と言って、われわれが第二電電企画を作ったときには、設立パーティに真藤さんも来ていただいて、応援しますよっていうことまで言っていただいてたんです。
マイクロは無線なもんですから、電波の干渉問題があるので、当時電電公社が持っているシステムを使わないと、干渉データも何もできないんですよ。だから電電公社に協力をお願いして、どこに中継局を設置すればいいかっていう初期の計算はやってもらったんですよ。その計算に基づいて現地調査に行って、恐らくトラブルだろうなと思ったら案の定トラブってまして(笑)。その当時、電電公社は長距離のマイクロ無線をもう作っていないんですよ。光に行くことが既定路線になってましたから、10年くらい前から長距離のルートは作ってなかった。

坂村 そういうことがあって、その後すぐ第二電電に移られるのですね?

小野寺 そうです。昭和59年の11月に入ってるんですが、その前の年の秋だったと思うんですけどね、稲盛さんと初めて会って、やりましょうっていうことで。

坂村 私達も、そのころ電子交換機のOSで、お手伝いしていました。CTRONで、一時日本中の電子交換機がCTRONで標準化されたのですけど、その後IP化の流れが来て、電子交換機というもの自体がいらなくなってしまった。

小野寺 サーバとルータに置き換わった。

坂村 CTRONはリアルタイムOSベースで、非常に安定していて、それに比べると初期のIP網は結構、不安定でした。

小野寺 そうですね。だいぶ苦労しましたが、何よりインターネットとの親和性がどんどん重視されるようになりましたから。

坂村 最初のうちは、と思ってたんだけど、これだけ半導体が速くなっちゃってメモリも大量で安くなっちゃうとなると、もうIPで大丈夫だよね、という話に当然なってしまいます。そういうことで、電話網というのはまさに、デジタル化を経てドラマチックに激変しましたね。

小野寺 今、標準化のお話をされましたけど、私も非常に重要だと思っていて、われわれが携帯電話を始めたのが昭和63年~平成元年の時期なんです。関西で始めたんですけれども、そのときに、当時のNTTと大げんかしましてね。あの当時はまだアナログで、NTTはNTT方式っていうアナログ方式を持っていたんですが、あの当時はNTTさんの開発した設備を使おうとすると外販手数料ってものをメーカに科しまして、NTTが買ってる値段にプラス・アルファしないとNCC(新電電)には売ってくれなかった。

坂村 なんと! それは開発資金の一部をNTTが出してたからですか?

小野寺 出しているのは事実ですよ。ですけど電電「公社」ですからね、名前の通り。国のお金で開発したはずなのに、なんでクローズドで、しかも日本のメーカさんからわれわれが買うのに外販手数料をチャージするんだと。

坂村 戦われた?

小野寺 やりましたよ。当時まだ自動車電話って言われてた時代で、NTT方式を使ったら端末のメーカも日本製に限られて、インフラのメーカも2、3社しかないわけですから、これで競争なんてありえないだろうって。
当時イギリスに、アメリカのAMPS方式っていうアナログの自動車電話をモディファイして、TACSって呼んでた方式があったんです。その周波数配置が日本と似てたものですから、日本向けに周波数を変えて採用することになったんです。

坂村 だから変えたわけですね、仕組みを。

小野寺 そうしたら今度は地域間の競争になりそうになっちゃって。関東と中部をテレウェイっていうトヨタさんと道路公団関係がやるっていう話になって、そこはNTT方式だったんですよ。

坂村 それだとインターオペラビリティが…

小野寺 だから最初インターオペラビリティがなかったんですよ。

坂村 …なかったんですね。

当時一世を風靡した名機 モトローラ Micro TAC(中央)

小野寺 われわれがTACSで平成元(1989)年にサービス開始するときに、モトローラのMicroTACっていう、当時ポケットに入る端末を売り出したらもう、とにかく物が足りない。われわれが想定した需要予測の倍以上で伸び始めちゃった。
TACS方式は完全にオープンになってましたから、日本のメーカさんも作れるし、モトローラからも買えます。最初から各社が作れる格好だったんですよ。
電電公社は完全にクローズドで、あの当時端末系は4社しかなかったんですね。

坂村 昔は電電公社しかなかったから、オープンもクローズもなかったし、全世界を見てもいなかったですしね。

小野寺 どうしても日本市場での競争しか考えてなかったですから。

坂村 第二電電さんは後発だったから、グローバルというか世界に目を向けて、窮地から逃げ出ないと、っていうようなところがあって……。

小野寺 アメリカはもうAT&Tの分割が終わって、地域会社同士の競争になっていたので、アメリカから買った方が安そうなものは買おうっていうんで、実は交換機はアメリカから買ったものだったんですよ。
伝送装置は日本の方が良かったもんで、伝送と無線系は日本メーカーにしたんだけども、向こうの交換機とのインタフェースが……

坂村 悪い?

小野寺 NTTはメーカーさんと共同開発してノウハウがメーカーさんにしかないもんだから、インタフェース条件をアメリカのメーカとすり合わせようとすると、インタフェース条件がはっきりしないんですよ。オープンにするつもりが元々ないから、メーカ間で決めて、日本の4大メーカで交換機を作ってしまえば、お互いはわかるから合わせてしまえば良い。ところが外から入ってきたところとつなごうとすると……

坂村 それはもう、気が遠くなるくらいなんか面倒くさそうですね。ドキュメントなしにすり合わせるので成り立つなんて電電ファミリーの中だけでしょう。

小野寺 そうです。自由化した以上はオープンにしない方がおかしいって言って大揉めに揉めて、インタフェース条件は外販手数料は取られませんでした(笑)。

坂村 お話を聞いてると、小野寺会長は外にビジネスしに行ったわけじゃないけど、中からグローバル化をしていったような……

小野寺 そういうふうに、みんな見てましたよね。というのは、当時の電電公社の料金体系そのものが、非常にドメスティックな料金体系で。

坂村 電話のためには債権買わないとという時代ですね。

小野寺 それは資金調達手段だったんですけど、実は電話料は市内の新しい投資には足りなかった。しかし、長距離は、昔はそれこそ一つの銅線に1チャンネルしか乗ってなかったものが、多重化をやって、マイクロとか同軸そして、光に行って、コストはどんどん下がってるんで、ここで儲ける仕組みになってた。だからここは、新規事業者から見れば美味しいところなんですよ。それが十分わかってましたから、そっちから入ったんです。

坂村 それで長距離の方から入ったわけですね。

小野寺 その後、携帯電話、当時の自動車電話にいって、ここでまた標準化の問題に遭って…

坂村 デジタルでも、かなり長い間KDDIさんはCDMA方式で、ヨーロッパ方式(GSM)やNTT方式(PDC)と違ってましたよね。

小野寺 それはですね、当時の郵政省さんが、アナログで別方式になってインターオペラビリティの問題が生じたので、デジタルでは一本化を図りたいって言うんで、条件としてスペックを完全にオープンにすること、海外メーカも含めてみんなが自由に物を作って売れるようにして欲しい、ってお伝えして、PDCへの一本化に一度は成功したんですよ。ところがねぇ、またNTTさんが……

坂村 え? だってオープンだって今…

小野寺 オープンなんですけど、技術開発はNTTさんが中心でやってるから、新しいスペックが決まったときには、もう大体トライアルが終わって、問題ないってなってはじめてオープンになるわけです。そうすると、新しいものは常にNTTさんからしか出ないわけですよ。

坂村 なるほど。

小野寺 当然われわれは、スペックが決まってからメーカさんにオーダを出すわけなんで、どうしても最低1年、ひどいものは2年以上差がついちゃったんですよ。

坂村 遅れが出たわけですね。

小野寺 そうなんです。これはなんぼなんでもひどいじゃないかと言ってさんざんやりあったんだけども、それ以上動かなかった。そのころアメリカで動き出したCDMAが、PDCよりも圧倒的に良い技術で、あの当時ですら64kbpsをすぐにでもやれるような状況だった。

坂村 で、変えちゃったわけですね。

小野寺 ですから二重投資になっちゃって、会社としてはものすごい重荷で大変だったんです。ただ、CDMAを入れたお陰で、大分競争に勝てる状況がやっとできたっていうのが本音ですね。

坂村 なるほどね。今はどうなったんですか?

小野寺 今はLTEの時代になって、もうみんな一緒です。

坂村 話は変わりますが、今の会社の規模はどれくらいで?

小野寺 お客様の数でいうと、やっぱりドコモが圧倒的に多いんですよ。ドコモさんが45%くらい。うちが30%弱。残りがソフトバンク。

坂村 結構頑張って良い勝負に…

小野寺 かなり近いところまでは来ました。ただ、われわれが参入したアナログのころでは、先ほどのMicroTACがあったもんですから、50%以上のシェアに短期間なったこともあったんです。ところがデジタルのPDCでまたシェアを落として、その後3グループ体制になったときには、NTTドコモが50数%で超大手。われわれが30%で、J-PHONEが20%って時代があったんですよ。その当時から見れば、競争が進んでるのは間違いないんですけど、まだまだですね。

坂村 そうなんですか。

小野寺 ドコモさん強いですから。規模が全然違いますから。

坂村 今のKDDIの従業員の方は?あと総売上は?

小野寺 本体だけで1万8千人くらいだと思います。それに連結子会社を入れると3万人を超えている。総売上は4兆円を超えます。

坂村 結構大きいじゃないですか(笑)。全然小さくないですよ。常識的に言ったら。それをなにもないところからお作りになったわけでしょう?

小野寺 まあ、確かにね。

坂村 NTTは2桁兆円ですね?

小野寺 ドコモさんだけで8兆円くらいありまして、NTT東西があってそれにデータさんも大きいですしね。

坂村 全部足したら10何兆になっちゃう。やってることの範囲が、昔はコンピュータまで作ってた会社だから……流石にKDDIは作ってないですね。

小野寺 作ってないです。

坂村 他にもデータサービス、コンピュータサービスとかはおやりになってないから……。でも、ゼロから4兆円の会社を作るのは、ちょっと普通ではできないですよ。

小野寺 確かにそれはその通りだと思うんですけどね。それから、規模はそれほどでもありませんが、データサービスもやっています。

坂村 今日のお話を聞いていると、インフラをやっておられる中で、ずっと標準化をめぐる戦いというか、オープン対クローズの戦いとかをされてたんですね。でも21世紀になったら、結局グローバルスタンダード、オープンの方が優勢になって、NTTだって今やクローズでいこうなんて誰も言ってないですよね。

小野寺 30年かかってますけども、本当に変わりましたね。それと日本のインターネットが急に伸びたのは、携帯電話のときですよね。特に欧米のGSMの場合は、音声とSMS(Short Message Service)が第2世代のメインのサービスで、実はe-mailが乗っかってなかったんですよ。日本のガラケーは、われわれのEZwebもそうですし、ドコモさんのi-modeもそうだったんですけど、メールは最初からe-mailになってたし、Webサービスも、小さなものしか提供できないかたちだったんですが、やってたんですよ。

坂村 compact HTMLでね。

小野寺 良し悪しは別として、日本のメールサービス、e-mailは携帯電話から来ているんですよね。それが、海外との大きな違いなんです。その結果として日本の携帯電話では、片手でテンキーでもって文字を入れるのが当たり前になっちゃって、最近のスマホはなおさらですけど、キーボード文化があんまり育たなかったんですよね。それが欧米との大きな違いだとわれわれは見ているんです。

坂村 良いか悪いかは別として、携帯のメールだってかなり早い段階から日本語でやり始めましたね。英語だったらここまで広がらなかったと思います。

小野寺 ここまで伸びなかったでしょうね。

坂村 やっぱ言葉はすごく大事だと思います。
で、最初の携帯電話は、上から下まで全部ITRON(Industrial TRON)で動いていて、通話とメール打つだけだったらITRONで充分なんですね。

小野寺 まさしくその通りです。

坂村 今また、スマホ要らないんじゃないの、なんて話で、回帰が起こってきたりしてるくらいですからね。

小野寺 こんなこと私が言うと問題なんだけど、本当にメールと電話だったら、スマホ要らないんですよ。

坂村 そういう使い方も多いですよね。Webの情報を見るんだと、スマホよりもうちょっと大きいディスプレイの方が良くて、電話できなくても…ってなりますね。そうするとやっぱりメールと電話だけってのは圧倒的に多いですよ。特に仕事のシーンでは。

小野寺 ですから、スマホの普及率が携帯電話総数の中で50%は超えたんですけど、やっぱり伸びが鈍化してます。使うシーンによってスマホが良いところももちろんありますけど、ガラケーで充分だというところもあるんですよね。

坂村 そうですね。だから今もう一回TRONだけの携帯電話がいけるんじゃないかって話が出てるんです。CPUが速くなってる反面、情報処理系のOSを使うとOSのエリアとか、プロセスもたくさん走ってて、メモリ容量も結構要るんですよ。
TRONは最初の電話で使ってたくらいですから、あまりメモリ要らないですから。

小野寺 チップセットがスマートフォン向けにどんどんシフトしてるもんですから、ガラケー用のチップセットの生産が止まりそうな雰囲気が出てきて各社とも困り始めてるんです。それでAndroidベースでガラケーみたいなのをやったりですね。

坂村 もったいない。だって使わないんだから。

小野寺 そのとおりなんです。

坂村 使わないんだったら、もうワンチップにしちゃって、メールと通話と、テザリングでつないだタブレットでWebは見るとかね。そういう携帯の方が僕は良いと思ってて、作りましょうよ、TRONでもう一回(笑)。

小野寺 いろいろ考えてみます(笑)。

坂村 絶対そっちの方が今の時代に合ってるんじゃないかな。IoT時代の携帯は、徹底的な機能分散ベースでもう一回考えなおすべきじゃないかと。だって今のAndroidとかiPhoneなんていうのは、IoT以前のスマホですから。だからIoT時代のスマホの決定打は、これから出てくるんじゃないかと思ってるんです。あらゆる機械が全部ネットにつながることになるわけです。そうするとIPも、IPv4ではなくてIPv6じゃないといけない。私が最近力入れてるのは、6LowPANという無線とIPv6を直結させる技術と、µT2っていう最新のOSなんです。6LowPANのボーダルータはものすごく小さくて、これ実物大なんです。たとえば電話もWANに対してテザリング提供するなら、ボーダールータですよね。

小野寺 おっしゃるとおりで、Wi-FiもmicroSDサイズができちゃってますからね。

坂村 Wi-Fiは消費電力食い過ぎだから、モノの中に6LowPANを入れて、低消費電力なµT2で動くIoT時代の携帯につなげるとかね。そういう新しいモノを日本から発信したいって思ってるんですけどね。

小野寺 ぜひやりましょう。

坂村 どうせやるんならオープンにして。

小野寺 オープンじゃないと意味がないです。

坂村 会長も、今なら、NTTと組んでいいとか(笑)。

小野寺 (笑)いや本当ね、僕はね、通信事業者はやっぱり通信事業者同士でお互いに業界全体を伸ばすことを、もっと言うと国全体の産業を伸ばすためにICTはもう不可欠になってきている。各社の戦略はもちろんあって良いんだけど、だけど日本としてどういう方向性でやるかっていうところは、もうちょっと業界全体で流れがあっても良いと思うんです。残念ながらなかなか……

坂村 やっぱりつながらないことにはどうしようもないですからね。
鉄道業者さんでJRさんがSuicaやりましたよね。その後、他の民営鉄道もいろんなカードを出しましたけど、十年くらいかかったんだけど、最後は相互乗り入れしようって話になる。みんなFeliCaベースだったんだからやりやすかったって話はもちろんありますけど、上はぜんぜん違う戦いをやってたものが、今はどれでも乗れるようになった。それと同じように、戦いはもちろんやって良いと思うんだけど、携帯電話基地局が乗入れできるようになったら、すごいなと思いますけどね。今はコンピュータがあるわけですから、料金計算なんて簡単にできると思うから(笑)、日本の中だけでも、本当にどこでもつながる携帯というのを実現したい。

小野寺 いずれそういう方向に持っていかなければいけませんね。十年以上前、2000年の始めくらいにNTTの組織問題でその議論をしたことがあるんですよ。その当時われわれは固定のアクセス系を持ってないわけですよ。地域系の固定アクセス・ネットワークは、携帯電話には絶対要るんです。ここは競争も必要だけれども、むしろ日本全体での効率を考えれば、完全にオープンにした方が良いでしょう、と。当時のNTTの固定の部分の設備保有会社を別に作ったら、と言ったんです。インフラはそこの設備保有会社が持って、そこはNTTのサービス会社にもわれわれにも、まったく同じようにサービスを提供すると。それがもっとも効率的じゃないかって。

坂村 そう! ネットワーク系のサービスは、結局ぜんぶつながっているから、地域で分割するより、機能レイヤーで分割した方が良かったと思います。

KDDIが受賞したIEEEマイルストーンの銘版の一部
(右手前:G3ファクシミリの標準化、左手奥:最初に太平洋横断TV中継を行った旧茨城衛星通信センター)

小野寺 散々議論やったんですけども、あの当時は実現しなかった。それが今になって卸売り業務なんて…あれはまさしく、NTT東西は設備保有会社になって、設備の運用と保守をやるという会社になっちゃったわけです。かつて私が言ったことが、形になってきたんですけど、ちょっと時期がおかしいんですね。早くやれば良かったんですけど、われわれも自らアクセス系の光、ケーブル含めて設備を持っちゃったわけです。そこでああいう仕組みにされると、今度は変なところでの競争になっちゃうんですよね。うちの社長もさんざん言ってますけども、タイミングがおかしいです。

坂村 なるほどね。日本で今重要な問題になってるのはやっぱり地方創生ですよね。大都会ならともかくとして、どうしようかって言ってるような地方で、巨大な通信会社が何社も来るわけないし、どこも来ないっていうこともあるわけなんだから、県単位で分けてでも良いから、山村間とかも日本全部のユニバーサルな情報通信網、全日本でうまくいくようなしくみを考えたいですね。

小野寺 そこは今からの大きな問題ですよね。アクセス系のインフラはどうしても物理的な回線を引かないといかんので、最初のコストが高いもんですから、ここをどうやっていくかが、各社とも頭が痛いんですよね。

坂村 頭が痛いところだからこそ手を組めば良いのではないでしょうか。

小野寺 そのとおりです。もうインフラの競争の時代じゃないんですよ。上位レイヤーの競争なんですよ。

坂村 そうですね。インフラレイヤーはもうそろそろ戦いはやめてもいいのではないかという気がしますね。
これから先、KDDIはどうなっていくのでしょう?

小野寺 私は元々無線屋でインフラ屋だったんですね。田中社長はどちらかというと上位レイヤーや法人系のシステムを作ったりしていたんで、彼の方がずっと得意なんで、非常によくやってくれているんですけど、やっぱり上位レイヤーをどうしていくかは一番大きな問題でしょうね。上位レイヤーのサービスでは、IoTももちろんそうなんですけども、おそらく今までのような通信インフラの上でのサービスじゃないものがどんどん出てくるんですね。その新しいサービスにどう対応していくかと、いうのが非常に重要だと思います。
あとはコンテンツとか。うちの事業セグメントは今4つに分けてありまして、コンシューマ系、これは固定も移動も含めて。それと法人系、これはコーポレート、カスタマー用途。それからバリューって呼んでるんですけど、まさしくコンテンツとか、アプリケーションとか、そういう上位レイヤー。それとあとグローバルです。

坂村 なるほどね。上になればなるほど世界に出やすいのではないでしょうか?

小野寺 出やすいです。

坂村 下の方はなんか面倒くさそうですよね。

小野寺 移動体はちょっと別なんですけど、固定は海外からの進出は非常に難しいですね。規制の問題とかもいろんな問題はあるんですけれども、上位レイヤーでわれわれ感じてるのは、実は通信というのは、意外とその国の地域での文化とものすごく結びついているんです。

坂村 なるほどね。

小野寺 放送はよく言われるんだけど、われわれから見てると、通信そのものもやっぱり違うんです。グローバルで受けるようなアプリケーションはもちろんあると思います。Googleにしたって、それからFacebookにしてもそうなんですけど、それだけかというと、リージョナルな、その国だけのコンテンツとかアプリケーションとかも結構一杯あります。両面からどう考えるかになるんだろうけどね。

坂村 なるほど。

小野寺 日本でなかなかGoogleやFacebookのようなサービスが生まれない。先生も同じ意見じゃないかと思うんですけど、大陸法のヨーロッパ大陸、日本。ここのB2Cのサービスがあんまり育ってないんですよ。

坂村 やっぱり法律的にね、ベースが合ってない。アメリカの場合は英米法ですから。

小野寺 あそこは法律にダメだと書いてなければまずやってみようという……

坂村 だから新しいことを思いついたらやってみろって感じになって、トラブったら裁判で決着つける。日本は書いてないことやっちゃいけないから、引いちゃいますよね(笑)。

小野寺 引いちゃうんです。ヨーロッパも一緒なんですよね。そういう意味で、やっぱりもう少し新しいことに挑戦できるような仕組みをきちっと作っていかないとまずいんじゃないかな、と。官僚の方ともよく話すんですが、「規制があって」というのは、日本では何か問題があると、本当は裁判所に行かなきゃいけないのを官僚に持っていって、官僚でダメだと政治家に持っていくでしょ。

坂村 それ良くないですね。

小野寺 それが当たり前になっちゃってるんですよ。そうすると何が起こるかというと、官僚の方々も政治家の方々も、厄介ごとを持ち込まれな

坂村 私もね、気の毒だなと思ってて、今私、国家戦略特区の民間議員ですから。国民が変わらない限り、この国の成長はない、と。

小野寺 あとは先生も仰ってるように、教育問題ですよね。この前のTRONWARE読ませていただきました。

坂村 最近DeNAの南場さんとプログラミング教育とかで気があっちゃって、一緒に行脚してるんです。

小野寺 私も全く同じことを言っていて、去年も文科省の総合政策特別委員会で言ってきたの。ぜひね、これやらないかん、と。

坂村 ぜひ、日本をいい方向に変えていかないといけないと思って――いろいろTRON以外のところでもお会いしますし。これからも、よろしくおねがいします。

TRONWARE VOL.153より再録