TRONプロジェクト30年の歩み

TRONプロジェクトの30

思わぬ反撃

CECがBTRONをこれからの日本の教育用パソコンの標準にしようとしているというニュースは大きく報道され、パソコンに関心があるメーカがどんどん参入してきた。その中で乗り気でなかったのがNEC。すでにPC98シリーズで成功を収めていたので別のものを作るのはいやだったのだろう。教育用パソコン標準化自体に反対していたが、最終的にはPC98のOSであるマイクロソフトのMS-DOSでもBTRONでもデュアルOSで動くパソコンを作ることで合意に至った。

こんな時にいきなり起こったのが、米国USTRがTRONを外国貿易障壁リストの候補に入れたというニュース。これには驚いた。なにしろ米国への輸出などしていないし、オープン、フリーなためTRONはだれでも作れる。例えばIBM。しかし、時代は日本が絶好調というかバブルのさなか。連日、アメリカの不動産をどんどん買っているとかの報道がされていた時代だ。まだ無いものでもなんでもアメリカにとっては日本をどう抑えこむかという流れの中で出てきた話。米国IBMの三井副社長からは「IBMもTRONパソコンを作ろうとしているのに、こういう間違いがどうして起こったのか」という心配の国際電話をいただいた。マスコミは面白がって煽り、矢面になったのがBTRON。あらゆるデマが飛び交い大変な迷惑。

米国のUSTRに文句を言ったら、すぐ会いたいと言う。会ってみると、これはどこからとは言えないが米国の企業に不利だという訴えがあれば、まず候補にする方針だという。だから何か反論があれば言って欲しいと言う。米国のメーカだって使えるオープンなOSであるため米国の不利にはならないと言ったら、わかった調査するという。

1年ぐらいして結局TRONは問題ないとなるのだが、その間に面倒なことに関わりたくないというメーカや、政府でもなんとか対米黒字を減らしたいという人達は、パソコンOSなんか米国から買えば良いではないかと言う。当時はまだ大した市場にもなっていなかったパソコンの――それもOSの規格など、どうでもいいと思ったのだろう。この先見性のなさが現在の情報通信分野における日本の苦境につながっていく。当時のマスコミは、この動きを日の丸パソコンは非関税障壁みたいに書き立てた。貿易がうまくいっていた余裕か「首相がトランジスタのセールスマンと言われるのは恥ずかしい」とか、「政府が商売に口を挟まないほうが良い」という論調まであった時代だ。この件は、当時はマイクロソフトが仕組んだに違いないとか言われたが、実はそうではないということは、その後明らかになる。

TRONWARE VOL.150より再録